トップページ > そよ風Zephyrのある風景 > 大石内蔵助さんと芭蕉さん
そよ風Zephyrのある風景
大石内蔵助さんと芭蕉さん
先日、赤穂浪士引き上げの道を中学の仲間と一緒に歩きました。
道程は、
両国駅⇒ 吉良邸⇒ 回向院⇒ 一之橋⇒ 万年橋⇒
隅田川沿い遊歩道⇒ 芭蕉記念館⇒ 赤穂浪士休息の碑⇒
永代橋⇒ 浅野家江戸屋敷跡⇒ 泉岳寺、です。
この道を歩くのは今回2回目でしたが、
お天気にも恵まれ楽しい一日を過ごすことが出来ました。
古地図を見るとわかりますが、赤穂浪士が泉岳寺まで引き上げた道は現代地図のそれと大差ありません。47士と同じ道を歩いたことで、時間を越えて、討ち入りを果たした彼らが泉岳寺に向かって歩いていたときの気持ちをすこし共感できたように感じました。
多分、彼らは意気揚々と、楽しく、飛ぶような軽い足取りで一糸乱れず歩いていったのです。隅田川の川面を見ながら、旧浅野家江戸屋敷を振り返り、振り返り見ながら、泉岳寺に向かって ・・・。(これは、僭越ながら、私のドタ感です。)

大石内蔵助の辞世の句 「あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
でも浜離宮を過ぎたあたりから泉岳寺までは、私にとって、「本当〜に長かった!」

ただ、今回の歩く会ではもう一つ心に強く残るものがありました。
それは、芭蕉の句です。「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」

ネットで検索したところ、
「草の戸」とは、質素な家と暗示します。つまり、世を捨てた男のすむ家を指しています。それに対して、「雛の家」はごく普通の女の子のいる家庭をさしています。バショウさんがいる頃の家とは全く違った明るい華やかな家になったというのです。簡単な句ですが、そこには人間の生の変転が述べられています。一軒の家も、住む人の違いでその趣を代えるのです。まさに、そこにはバショウさんの考える無常観があったといえます。・・・と書いてありました。

でもこの俳句には、何回読み返しても、「明るさ」を感じます。
芭蕉さんが訴えたかったのは、無常観もあったでしょうが、深川の小さな庵を思い切って売却していよいよ奥の細道に旅たつときの「躍り上がるような喜び、ワクワク感」だったような気がします。

物事を成し遂げた人達の「ワクワク感」を1日で2回も感じることができて、とても幸せな一日でした。
ご無礼の段、陳謝
干場 2009年6月
戻る
このページの先頭へ
© Copyright Multus Executive Consulting Inc. All rights reserved.